2013年11月2日土曜日

情動 Prinz(2012)

The Cambridge Handbook of Cognitive Scienceの10章、哲学者Jesse Prinzによる"Emotion"の読書メモ



情動は注意や記憶とも関わっており、行動を導くのに重要な役割を担っている。
我々はある情動については求めたり、また別のある情動については避けようとする。
情動がなかったら我々はまったく別のイキモノになっちゃうだろう。

10.1情動の原因

10.1.1認知的原因

「認知」という語はいささか厄介だ。というのも異なる研究者で異なった仕方で定義されうるからだ。
思考や推論は、自発的でも自動的でもありうるが、外界からの刺激の単なるコピーとはいいがたい。それは概念を使用する。
この章で「認知」といったらそういった思考や推論の意味で使う。

思考が情動を引き起こすとは広く認められている。けどそれってどんな種類の思考だろう?
「雪は白い」とか「3は素数」はほとんどの人には大した影響を持たない。情動を引き起こす傾向があるのは「評価」についての語だ。
例えば「ナイフは鋭い」という思考は情動を引き起こさないであろうが、「ナイフは危険だ」という思考には情動がついてくることはありうる。

心理学の実験によって、同じ映像に対して異なる被験者に異なる物語を与えると、被験者は映像内の出来事に異なる評価を下し、結果として異なる情動を引き起こすことがわかっている。
人が人を殴っているのを見ても「弱いものいじめ」か「ボクシングの試合」かで評価も情動も変わるといった具合に。

このような思考単位では荒いと考える研究者もいて、情動間の違いを説明するのに十分と考えられる数の評価次元を同定する「次元的評価理論」が提唱されている。この理論では「思考」に「分子的評価(molecular appraisals)」が取って代わるとされる。

各情動の生起段階は、外的および内的状況が動機や価値と関連する複数の共通する次元に沿って評価され、それらの組み合わせで情動の種類が決定されるとされる。例えばSchererなら「関連性」、「対処可能性」「規範的重要性」などを、Rosemanなら「新奇性」、「状況の状態」、「統制可能性」などを提唱している。

次元的評価理論は広く受け入れられているわけではない。
「分子的評価」は我々の情動に影響を与えはするが、情動の引き出しに必須ではなく、実際、次元的評価理論の理論家はプロセスの構成要素というより情動についての意味論的分析の一部分と認める者もいる。

「こしあん」にせよ「つぶあん」にせよ多くの心理学者が情動の引き出しに認知的状態を想定している。

10.1.2非認知的原因

視床は上丘経由で扁桃体とつながっており、視神経といった変換器から情報を受け取る。それゆえ視覚情報は新皮質に届く前に扁桃体に送られる。これはおそらく「巻かれたロープを蛇と一瞬見間違える」ような時に起こっていることである。
脳がロープだと分類する頃には、「自分は危険ではない」と知るが、その前にすでに恐怖を経験しているということである。

情動は単純な知覚入力に引き起こされると考える理由は他にもある。
心理学の研究によれば本人が認知的に把握せずとも天気や音楽、運動によって情動は引き起こされることがわかっている。

しかし例えばくすぐりがおかしさを、アルコールが歓喜を正当化するわけではない。これらは理由というより原因である。これは独断ということではない。運動をして気分が良くなるといったことは健康に良いことから進化的にプログラムされているのだろう。

しかしこのような解釈を否定し、上のような例は非認知的原因というより、あくまで認知的なプロセスが無意識に働いていると考える理論家もいる。

10.2情動の構成要素

思考も単純な知覚も情動を起こしうることがわかった。じゃあ情動そのものって実際のところ何なんだろう?

一つの可能性は情動は情動を引き起こすものそのものという考えだ。
ここで純粋な認知理論と純粋でない(混交タイプの)認知理論を区別しよう。
純粋な認知理論では、情動とは思考や判断そのものだとする。このような見方は哲学では珍しくない。現代の擁護者はソロモン(1976)やヌスバウム(2001)。

しかしよくある比喩を用いれば情動は「熱(heat)」を持っている。「雪は白い」とクールに判断できても「我々は大変な過ちを犯した」に対して冷淡ではいられなかったりする。情動がただの判断や思考ならこの「熱」が説明できなくなってしまう。

その困難は純粋でない認知理論を採用することで回避できる。すなわち情動は認知的な構成要素と非認知的な構成要素の両方を持つと考えるのである。

非認知的な構成要素は一つしかないと考える者もいれば、スピノザ(1677)のようにネガティブとポジティブの2種類を想定する者もいる。

恐怖はしばしば鳥肌を伴い、悲しみは喉を詰まらせるなど、ある情動は特有の身体変化を伴う。
ここから非認知派は情動とは心的状態ではなく身体の状態だという立場をとることができる。

他に、情動は常に意識的に経験される身体知覚だという説もあり、古くはウィリアム・ジェイムズ(1884)、最近ではダマシオ(1994)が支持している。また、プリンツ(2004)は基本的にはジェイムズに従いつつも必ずしも意識経験である必要はないとする。

非認知派は神経科学からの証拠からも自分の立場を守ることができる。体性感覚皮質、島皮質、前後の帯状皮質、側頭極、前頭前野腹内側部、眼窩前頭皮質といった具合。

10.3情動の作用

10.3.1振る舞いへの作用(behavioral effects)

ひとたび情動が起こると様々な効果を生む。これらを理解することは情動がもたらす機能を理解するのに重要である。
それぞれの情動がそれぞれ振る舞いに結びつくということは良く知られている。
怒りは攻撃、嫌悪は拒絶、恐怖は逃走/すくみ上がる、恥ずかしさは隠すこと、罪悪感は償い、などなど。
希望、プライド、美的快楽(aethetic pleasure)など振る舞いとつなげるのが難しい情動もある。

「恐怖」「怒り」「嫌悪」などネガティブな情動には「抑制」「撤退」「回避」といった共通点があるように思われる。ポジティブな情動も然り。というわけで手始めにこの2つに分けて考えてみよう(怒りは、それに向かうというより根絶したり押し退けたりするものなので、広い意味で回避に分類する)。

ネガティブな情動は中隔海馬と結びついており(Gray 1991)、一般的に言って、止めたり思いとどまったりという振る舞いの傾向があると分類することが出来る。

Chen & Bargh (1999)の実験によると、画面に単語が呈示されたらレバーを向こうに押す、あるいは手前に引くよう教示された参加者は、向こうに押すときは、ネガティブな単語の方がポジティブな単語よりも反応が速かったという。逆に手前に引くときは、ポジティブな単語の方がネガティブな単語よりも速かった。

さらにダマシオによれば前頭前野腹内側皮質を損傷した患者はギャンブル課題でリスクのある選択にネガティブな情動を結び付けられず、リスクの高い選択をし続けるという実験結果も報告されている。

逆にポジティブな情動は通常振る舞いを継続させたり繰り返させたりさせる。

10.3.2認知への作用

Wheatley and Haidt(2005)によれば、人は催眠下で嫌悪を引き起こすように指定された単語が入っている話のほうが入っていない話よりも「道徳的に悪い」と評定したという。

Lerner, Goldberg, & Tetlock,(1998)では、参加者に対して怒りを誘導した後、登場人物(被告人)の怠慢な行動によって犠牲者が生まれるストーリーを読ませたところ、誘導手続きによって強い怒りを覚えた者ほど、被告人の行為を強く罰せられるべきものだと評価する傾向を示した。

他にbouhuys bloem & groothuis (1995)で悲しい音楽を聴かせたグループは、曖昧な表情を悲しい表情と判断する傾向にある、などなど。

情動による振る舞いや認知状態への影響は活発に研究されており、ここで紹介した研究は氷山の一角に過ぎない。

10.4情動研究の他のトピック

情動を表現する能力が乏しい失情動症や、病理学レベルで過度に、または不適切に不安を抱えてしまう人々がいる。
これらは認知行動療法や人生の出来事をよりポジティブに再解釈するトークセラピーでの改善が見込まれる。
認知行動療法にせよトークセラピーにせよ認知的に引き出された情動に対して有効だろう。非認知的な原因である場合は薬学的なアプローチが有効だと思われる。これらは臨床研究の実践的問題であるばかりではなく本章のキモである問題とも関わっている。


10.5結論

省略

The Cambridge Handbook of Cognitive Science

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